追伸 の追伸(3/5追加)

前記事だったか、なんだったか、カントの鳩のはなしです。

純粋理性批判だそうです。

(中略の部分に、まさにメタファーの焦点があったので、中略を取っ払いました)

軽快な鳩は、空を切って自由に飛びまわりながら空気の抵抗を感じたとき、真空の中ではもっとずっとうまく飛べるだろうと思うかもしれない。まさにそうしてプラトンは、感覚の世界は悟性はあまりに窮屈な枷をはめるがゆえに、感覚の世界を離れ、イデアの翼を身にまとい思いきって感覚の世界を越えて行き、純粋悟性という真空の内へとはばたいたのである。彼は、こうした努力では一歩も進めないことに気づいていなかった。いかなる抵抗もないところでは、いわば拠って立つ支えも失われ、彼の力はただむなしく空を切り、悟性を働かせることもできないのである。

(P.124)

(ロバート・フォグリン著 
野矢茂樹 塩谷賢 村上祐子訳
理性はどうしたって綱渡りです
<Waking the Tightrope of Reason>
春秋社刊)

ふう。




理性はどうしたって綱渡りです

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この記事へのコメント

にょろ
2008年03月03日 02:05
反対に、苦境に立つからこそ、
悟性を働かせる必要があるということも、
また事実である気がします。
カントさん的に言う所の下級認識能力である、
感性では対処しきれない。そんな苦境。
「何となく」で切り抜けられない時、
悟性を頼るけれど、悟性を働かせる為の、
知識が無かった時、人は惑うのだろうと思われまする。
muge
2008年03月03日 21:57
そしてもうひとつの惑いは、知性の真空を希求するということ。
非概念的な経験は、そうでありながら概念を制約する、ということだそうです。
悟性はいつも感性に縛られて、それゆえ暴走をせずに済んでいるというのも、またまた事実でありまして。
にょろ
2008年03月03日 22:51
悟性があるからこそ、
感性だけで突っ走れないのも、
事実でありましてw
無碍
2008年03月05日 15:51
より多くの人は、感性だけで突っ走ろうとしました。カントさんにいわせれば、プラトンは悟性「だけ」で突っ走ろうとしたようです。

昔のプチダノンのCM。
「あたまばかりでもからだばかりでもだめよね」
所与を思弁に。思弁を所与に。認知判断操作。(教習所ですか)

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